青春シンコペーションsfz
第2章 機械仕掛けのピアニスト(3)
井倉は青ざめ、彩香も硬直したように師を見つめた。
「いやだな。君達、何て顔するですか?」
そんな二人に、ハンスが笑い掛ける。
「すみません。でも、先生の髪が、一瞬、黒髪に見えて……」
井倉がしどろもどろに応える。
「ウィッグですよ」
見開いたハンスの目に、じっと見つめられ、井倉は動揺した。
「これは……仕方ないんですよ。薬のせいで……」
空気のように癖のない声でハンスが言った。
「薬……」
井倉はそれを聞いてはっとした。
(そういえば、先生の腕……。腫瘍の手術の後遺症だって言ってた。それってもしかして癌だったって事……?)
井倉は愕然とし、今も後遺症に苦しむ師の現状に思い至って酷く同情した。
「でも、どうして髪の色を変えたんですか?」
彩香が冷静に訊いた。
「イメチェンですよ。みんな、おしゃれで髪を染めたりするでしょう? 僕もおしゃれしたですよ」
ハンスは微笑すると、軽く指で前髪を掻き上げた。
「目の色を変えているのも……ですか?」
少し考えるように彼女が質問する。
「それは、光から守るためですよ。ほら、言ったでしょう? 僕は紫外線に弱いんです。だから……」
「本当にそれだけですか?」
彼女は疑念を持っているようだった。ハンスは黙って彩香を見つめた。人形の瞳に幾つも光が反射しているように、彼の青み掛かった眼球が煌めいて見えた。ハンスが若く見えるのは瞳の大きさによるものかもしれないと井倉は思った。彼らの間を猫達がそろそろと通り過ぎる。アルモスは黙って様子を見ていたが、やがてポケットから煙草を取り出すと、緩慢な動作で火を付けた。
「……噂を聞いたんですの」
彩香が言った。
「噂?」
ハンスは目を逸らさずにいた。アルモスが吐き出した紫煙が彼らの間に漂っている。
「先生が人殺しだと、ある人から聞いたのです。それは本当なんですか?」
彩香は端的に疑問をぶつけた。井倉は焦って彼女を見た。が、ハンスは平然としていた。
「もし、そうだとしたら?」
師が真顔で聞き返す。
「わたしは、真実を伺いたいのです」
彼女はきっぱりと言った。
「井倉君は?」
「……わかりません。でも、このままではどこかすっきりしなくて……。気にならないと言えば嘘になるとは思います」
それを聞くとハンスは少し肩を落として俯いた。それから、ゆっくりと握った手のひらを開いて見つめ、顔を上げると静かに言った。
「そうですね。僕は人を殺したかもしれません」
一瞬、部屋の空気が凍り付いたように思えた。
「それは、仕事でした」
伏せた睫に紫煙が過ぎる。それから、ゆっくり視線を上げると、ハンスは壁に掛けられた森の絵を見つめた。
「でも、仕事上って事はやむなくというか、正当防衛って事じゃないんですか?」
井倉が訊いた。巡回するエアコンの冷風が彼らの周囲に吹き付ける。
「国際警察の仕事で仕方がなかった。そういう事ですか?」
彩香も訊いた。答えはなかった。皆が沈黙したので、厚い硝子に隔てられた外の蝉の声が一段と大きくなったように思えた。
「先生は……マウリッヒ・ケスナーという方をご存知ですか?」
細く吐き出すように彩香が言った。
「ええ。知ってますよ」
ハンスは落ち着いていた。
「そのヘル ケスナーという人物が、今度わたしの護衛をしてくれる事になったんです」
ハンスは軽く頷くと笑って言った。
「彼とは病院で一緒でした」
ハンスは少し遠い目をして言った。
「でも、彼は嘘つきなんです」
「嘘つき?」
彩香が聞いた。
「彼は病院でも言ってましたよ。僕が人殺しだって……」
そう言うと、彼は少し悲しそうに笑った。
「そうなんですか?」
彼女がぎこちなく相づちを打つ。
「それにしても、彼が日本に来るとは思わなかったな。でも、せっかく来たのなら、僕が会いたがっていたと伝えてください」
ハンスは笑顔で言うと、アルモスに二言三言ドイツ語で語り掛けた。男は黙って頷き、地下へ続く階段を降りて行った。
「ああ、ちょっと喉が渇いたので、彼にワインを持って来るようにと頼んだんですよ。今日は美樹もいないし……。君達も一緒にどうですか?」
「いえ、僕は麦茶で結構です」
井倉が丁重に断った。
「わたしも今は結構です」
彩香も遠慮した。
「黒木さんは?」
丁度リビングにやって来た教授にハンスが訊いた。
「ワインですか? いいですね。いただきます」
「じゃあ、ワインのつまみに、君達のピアノの成果を聴かせてもらいましょうか」
いきなりそう言われて井倉は身を竦めた。が、彩香はすんなり頷くとピアノの席に着いた。
「じゃあ、『猫ふんじゃった』を弾いてみてください」
ハンスの言葉に思わず振り返った彩香が
首を傾げた。
「あの、それって……」
「明日、子ども達のレッスンでやる事になったですよ。ちょっと楽しい曲でしょう? 彩香さんも弾いてみて。レッスンの参考にしたいのです」
「わかりました」
彩香が曲を弾き始める。
「ああ、いいですね。井倉君も向こうのピアノで弾いてみて」
「はい」
井倉は急いでそちらに行くとピアノの蓋を開けた。そして、タイミングを測っているとハンスが言った。
「井倉君は普通に、彩香さんは倍速で弾いてみて」
それから、小節をずらして弾いたり、オクターブ上下させて弾いたりもした。
(この曲弾くの久し振りだ。何か子どもの頃の事を思い出すな。何だか楽しい。彩香ちゃんもそうかな?)
井倉が向かいを見ると、彼女は淡々とした表情で弾いていた。そして、彼女の打鍵はどんな時にも乱れない。速度を変えても正確だ。
「ほら、向こうから大きな野良猫がやって来ました」
そう言うと彩香の脇に立っていたハンスが低音の鍵盤を叩く。それは虎かライオンのような迫力と落ち着いた貫禄のある音だ。それがだんだん近づいて来る。その足音とメロディーを加え、ハンスはどんどん彼女を追い詰めて行く。が、彼女はまるで動じない。
「今度は、子猫も来ましたよ」
高い音で鳴き声を表すと、彼は楽しそうに指で鍵盤の上を跳ね回って、ぐるりと回って向かい側の井倉の所まで来た。
「はい。じゃあ、井倉君も倍速で行ってみましょう。ほら、追い掛けっこしましょう。どっちが速いか競争です。黒木さん、3人のうち、誰が1番速くて正確か測ってください」
教授が頷くとハンスはぱんっと手を打つ。
(さ、3人って……!)
井倉は焦った。彩香の正確さと速さに付いていけない。加えて、脇からハンスが高音で弾くので圧に心臓が押しつぶされそうだった。華麗なる『猫ふんじゃった』の競演は、圧倒的な速さと正確さを以てハンス、彩香、そして井倉。
「測るまでもありませんな」
黒木が笑って言う。
「井倉君、もう少し頑張らないと。打鍵乱れてましたよ」
ハンスは笑って井倉の肩を叩くとアルモスが用意したワインのグラスを受けとって飲んだ。
「うん。美味しい」
ハンスはうれしそうだった。
「明日はこれで行けそうです。きっと子ども達も喜んでくれるんじゃないかな? 彩香さんも参加しますか?」
「え? わたしは遠慮しますわ」
「あれだけ速く弾ければ大丈夫ですよ」
「でも……『猫ふんじゃった』はちょっと……」
「じゃあ、他の曲を弾いてみて」
促されて彩香はモーツァルトの曲を弾き始めた。それをにこにこと見ているハンス。
そこにはいつもの明るさが戻っていた。
(やっぱり信じられないな。彼が人殺しだなんて……。あの時、ハンス先生黙ってたし……。きっと辛い思い出なんだ)
足元に映るレース模様の影を見つめ、井倉はそんな思いに沈んだ。
(あまりその事には触れないようにしよう。彩香さんにもそう言って……)
そう思った時、ピアノ越しに彩香の真剣な顔が見えた。彼女は昔から正直で隠し事は嫌いで、疑問に感じた事は動じる事なく口にする方だった。はきはきとして良い性格ではあるが、反面、率直過ぎて配慮がないようにも見えてしまう。先程もそうだった。
――先生が人殺しだと、ある人から聞いたのです
井倉には、とても、言えそうにない言葉だった。
(彩香さんは、きっとどんな人でも対等な付き合いが出来る人なんだろうな)
それが羨ましいと彼は思った。
「いいですね。速度が変わっても乱れがない。次はシューベルトの曲で練習しましょう」
ハンスは機嫌が良かった。彩香も微笑して頷いている。彼女も自分が抱いていた疑問について、師が臆する事なく答えてくれたので納得がいったようだ。
「じゃあ、今度は井倉君。リストのアレンジ弾いてみてください」
「あの、でも、まだ全然完成していなくて……」
「途中でいいですよ。どんな具合か見るのです」
井倉は仕方なく鍵盤に向かった。そして、ふうっと息を吐き出すと、頭の中のイメージを壊さないように指をそっと動かしてみた。不穏な影が忍び寄って来るような印象深い低温が中盤から加わり、不気味な雰囲気を醸している。
「ついに怪物が目覚めてしまったようですね。では、再びそいつを眠らせてくださいね」
そう課題も付け加える。
「はい」
井倉が頷く。
「ふふ。どうやら、その怪物は酔いどれの画家みたいですね」
そう言うとハンスはアルモスを見た。男は軽く口笛を吹いて壁の絵を見つめた。
そして、翌日。彩香はテレビ局へ出掛けて行った。
スタジオに入ると早速番組のチーフディレクターの寺田が来て挨拶し、他のスタッフに紹介した。
「彩香お嬢様、暑い中、お越しいただきまして、誠にありがとうございます。番組と致しましてもビッグな企画として鼻が高いですよ」
「わたしは父に頼まれただけですから……」
「いやいや、そこにおられるだけで、十分に美しい華ですよ。加えてピアノの天才だとか……。お小さい頃から出場したすべてのコンクールで優勝されたと伺っております。本当に素晴らしい! どうかコメントはお手柔らかにお願いしますよ。何せ娯楽番組ですので、彩香お嬢様には少々お耳触りの部分もあるかもしれませんけど……」
寺田は愛想良く笑った。が、彩香は真剣な表情で言った。
「一つ訂正させてください。すべてのコンクールではありませんわ。先の学生コンクールでは、わたしは2位でした。それに、コメントは誠実にお答えさせていただきますわ。そうでなければ、相手の方に失礼だと思います」
「はあ。お嬢様がそうおっしゃられるのでしたら……」
寺田が困惑していると、そこにエレベーターが着いて、賑やかな集団が入って来た。女性のファン達に囲まれた生方響だ。寺田が彼を手招きすると、響はすぐに彼らの元へ来た。
「やあ、響君、丁度良かった。こちらは今日のゲストコメンテーターの有住彩香さんだよ。ほら、あの有名な有住財閥のお嬢様の……」
彩香が軽く会釈して挨拶した。が、響はぶっきらぼうに言った。
「生方です」
「先日、テレビであなたの演奏を拝見しましたわ。斬新でパフォーマティックな演出をなさるんですのね。それに、テクニックも素晴らしいと思いました」
彩香がにこやかに話し掛ける。が、響は面倒臭そうに言った。
「お世辞は結構。俺、お喋りな女は好きじゃないんで……」
「あら、わたしもお世辞は嫌いです。わたし自身が嫌いな事を他人に押し付けるような事は致しませんわ」
「じゃあ、俺の演奏はテレビなんかじゃなくて生で見てよ。その方が迫力も伝わるしさ」
「機会があれば聴かせていただきます。わたしも音楽をやっておりますから、生の雰囲気が大事だという事はわかります」
「へえ。音楽って何をやるの?」
「ピアノです」
「そう」
響は素っ気なく答えると別のスタッフに呼ばれて行ってしまった。
「すみませんね、お嬢様。響君、実力はあるんだけど、ちょっと生意気で……。アメリカ帰りの天才だからって、誰も逆らえないんですよ。今、うちの番組の看板なんで、彼の機嫌を損ねたくないもので、ちょっとお気に障ったかもしれませんがここのところは穏便にお願いします」
ぺこぺこと頭を下げるディレクターに対し、彩香は言った。
「別に気に障ったりしてませんわ。はっきりしていて、逆に好感が持てます」
そうして、本番前の打ち合わせは何毎もなく進行した。彩香はゲストとして他のコメンテーター達と談笑しながらリハーサルを見ていた。流れは順調だった。ところが、本番直前になって、アクシデントが起きた。出演者の一人が急に腹痛を訴えて病院に運ばれたのだ。虫垂炎かもしれないとスタッフ達が囁くのが聞こえた。そして、その穴埋めに彼らは奔走していた。それは番組の目玉であるピアノの速弾き対決に出場する予定だった挑戦者だったからだ。
「困りましたね。候補者は何人かいますけど、今からじゃとても間に合いませんよ」
「こうなったら、何か別のパフォーマンスで穴埋めを……響君、君の演奏なんか入れたら視聴者が喜ぶと思うんだけどどうだね?」
寺田が言った。
「穴埋めなら、そこのお嬢様にでも弾いてもらったらどうですか? ピアノやってるそうだし、お嬢様が速弾きに参戦! とか言ったら、なかなかいいパフォーマンスになるんじゃないすか?」
「おお! それは……」
いいアイデアだと言い掛けてディレクターはちらと彩香の顔色を伺った。
「わたしに弾けとおっしゃいますの?」
彩香が鋭い視線でそちらを見る。
「え、ええ。事情が事情ですので、出来ましたらお願いします」
ディレクターが何度も頭を下げる。
「無理ですわ。そんな急に……。今日は靴もヒールですし……」
「そ、そうですよね。申し訳ありませんでした」
と、さらに頭を下げる。そこに響が割り込んで言った。
「へえ。怖いのか? 所詮はお嬢様の手習い事だもんな。恥をかくのは屈辱って訳か」
「ちょっと、響君……」
寺田が慌てて間に入る。
「ま、仕方ないか。いいっすよ。俺が弾いても……」
響が立ち上がろうとした時、唐突に彩香が言った。
「お受けしますわ」
「は?」
響もディレクターも呆気に取られた。
「何を弾けばよろしいんですの?」
「ほ、ほんとによろしいんですか?」
寺田が訊いた。
「もちろんですわ。さあ、早く指示をお願いします」
そして、本番。曲目はモーツァルト作曲「トルコ行進曲」。そして、ベートーヴェン作曲「エリーゼのために」。
(どちらもプレストの速さで弾けばいい。知ってる曲だし、モーツァルトなら練習もしていた。大丈夫。弾けるわ)
彩香は鍵盤を見つめると頷いた。
ディフェンディングチャンピオンは3年前に音大を卒業し、今はタレントをしている花沢由希。芸能人ではかなりの実力で既に2度チャンピオンの座に付いていた。番組では、3回連続優勝すると年末に行われるチャンピオン大会に出場し、そこで優勝すると春に行われるホールでのコンサートに出演出来る権利が与えられた。言うなれば、眠った才能を発掘し、デビューのチャンスが掴める夢の企画だった。彩香はそこまで詳しく知らずに引き受けたが、それは彩香にとっても一つのチャンスに結び付くものだった。
(それなら、井倉が出たら良かったのに……)
彼は1年以内にデビューする事という約束を彩香の父と交わしていた。春にコンサートが開けるならば決められた期限に十分間に合う。しかし、ここに井倉はいなかった。
(やるなら全力でやるまでよ)
始めにチャンピオンである花沢が弾いた。アイドルとしても人気の彼女には大勢のファンがいて、会場を盛り上げていた。音大を出ているだけあって花沢の演奏は打鍵もしっかりしていてそつが無かった。結果はトータルでミス3回という好成績。演奏後に感想を訊かれた花沢は頬を紅潮させてうれしそうに言った。
「これまでで最高の演奏が出来たと思います。いつもよりずっと緊張してたんですけど、それが良かったみたい」
会場が沸き、司会者も褒めちぎった。それから、彩香の所に来て意気込みを訊く。
「今日は初挑戦という事ですが、如何でしょう? いきなりチャンピオンの実力を見せつけられた感じで緊張していませんか? ああ、いや。これは失礼。彩香お嬢様は小さい頃から何度もコンクールで優勝なさっているとか……。じゃあ、本番だからといって特に緊張するなんて事はないのかな?」
「そんな事はありません。本番では毎回緊張致しますわ。ましてや今回はいつもの演奏とはまるで違いますし……」
彩香が言った。
「では、結果はやってみないとわからないという事ですね?」
「はい。でも、やるからには全力で演奏します」
彩香の言葉に会場からは一斉に拍手と歓声が巻き起こった。
「お嬢様はやる気十分という事ですね。では早速、演奏の方、お願いします」
スタジオの床は固く、ライトは眩し過ぎた。ホールとはまるで環境が違う。彩香はピアノだけを見つめた。いつもより鼓動が速いと感じた。
(大丈夫。『トルコ行進曲』なら、昨日も弾いたばかりだし……。正確に速度を変えて弾けばいいだけよ)
膝の上に置いた手が軽く汗ばんでいる。スタジオの熱気で室温が上がっているのか。彼女は軽く目を閉じると深呼吸した。そして、次に目を開けた時、ピアノの上に猫型のメトロノームが見えた。それは、ハンスの家のピアノの所にあった物だ。
(そうよ。昨日と同じ。あれに合わせればいいんだわ)
そう思った途端、緊張が解れ、すっと動いた手が鍵盤の上に乗った。そして、一気に曲を弾き始める。正確に打ち続けるメトロノームに沿って最後まで弾き切る。会場がわっと盛り上がった。司会者も何か叫んでいる。しかし、彩香は構わず、次の曲を弾いた。
演奏が終って爽快な気分で顔を上げると、ピアノの上には何もなかった。
(変ね。確かにあった筈なのに……)
立ち上がった彼女に司会者が言った。
「素晴らしい! 何という事でしょう! ノーミスが出ました。新たなチャンピオン誕生です!」
「ノーミス?」
彩香は戸惑うように会場の中を見回した。審査員達からは絶賛の嵐。コメントが発表される度にどよめきが起こり、人々は盛大に拍手した。
「へえ。驚いた。お嬢様の戯れ事かと思ったら、結構やるじゃん」
収録の後、響が近づいて来て言った。
「それは褒めてくれているのかしら?」
「俺、滅多に他人の事褒めないんだぜ」
「じゃあ、光栄な事だと考えてもよろしいのかしら?」
「ま、そんなとこかな」
スタッフ達はまだ忙しそうに動き回っている。彼らはエレベーターに乗って1階に向かった。
「あなたは今日は演奏なさらなかったのね」
「ああ。今回、俺はコメントだけ。アレンジ対決は来週だから。もっとも、俺はエキシビジョンだけど……」
「それで、次の収録は2週間後だとディレクターの方がおっしゃっていたのね」
「何だよ。そんな事も知らなかったのか?」
彼らの他に誰も乗る者はなく、エレベーターは降下して行った。
「ええ。もともと1回きりのゲストだということで呼ばれましたの」
「でも、そうはならなかった。どう? これも縁だろ? 俺と付き合わない?」
彩香が絶句していると彼は続けた。
「あんた、美人だし、実力もあるみたいだから、俺と付き合う権利認めてやるよ」
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